1950年代は、まだテレビ放送が始まったばかりで、テレビのある家が一般的ではない時代でした。そんな中、ラジオを通して、またはテレビの創成期に活躍したもっとも輝いていたタレントの一人に黒柳徹子がいます。
約6000人の応募者の中から13人しか選ばれなかったNHK放送劇団のメンバーに選ばれ、テレビ放送開始とともに女優デビューを果たしました。
ラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」のトン坊役で人気を得、のちにテレビの「チロリン村とくるみの木」で声優を務めるなど子供番組で活躍します。
バラエティ番組とアイドルというつながりが明確ではない時代、早くからマルチな才能を発揮した黒柳徹子は、1958年には〔第九回紅白歌合戦」で紅組司会者を務め、テレビが普及してきた1960年代には一世を風靡したバラエティ番組の元祖ともいえる「夢で会いましょう」で人気者となります。